忙しくてブログ書く間も無かったけど、
あまりにも腑に落ちないニュースに、どうしても書かずにおれなくなった。
・式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違法」
これだ。
まず、判決について。
「少数者の思想良心を侵害し、違法」というのはいいとして、私がありえないと思うのはこれ。
判決はまず、日の丸・君が代の歴史的な位置づけについて「第二次大戦終了まで、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことは否定しがたい」と指摘。「国旗・国歌法で日の丸・君が代が国旗、国歌と規定された現在でも、なお国民の間で宗教的、政治的にみて価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と述べた。
この判決理由、私には、この『難波孝一』という裁判長の1私見でしかないように思える。
私は、戦時中であるとかそうでないとか、そんなことに関係なく『日の丸・君が代』は愛国・国を尊ぶ精神の支柱であると思う。だから、日本という国が皇国思想や軍国主義思想を経て今あるが故に『日の丸・君が代』をそのように『皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱』などと勝手な位置づけをするのは間違いではないか。この裁判官によるそのような勝手な解釈は、純粋に日本という国を愛し皇国思想や軍国主義思想に反目してきた人々にとっては、ただの『私見』でしかないと思う。
また、「国民の間で宗教的、政治的にみて価値中立的なものと認められるまでには至っていない」というのも、個人的私見だ。少なくとも私はそう思ってはいない。そう思っていない人間が少なくともここに1人居るのだから、やはり私見だと思う。
裁判において、判決が裁判官の私見によって下されるというのはどういうことだ?
私には到底、納得できない。
私は、(法に関して)素人の集団が評決を下す陪審員制度に対して全面的に肯定できないスタンスではあるけれど、1裁判官の偏った私見によって裁かれるくらいなら陪審員制のほうが「まだマシだ!」と思わずにはいられない。
そして、訴えた教師ども。
この人たち、公務員です。
日本国からお給料もらって食べてる(生活している)人たちです。
でも国歌斉唱したくない、国旗掲揚に起立したくない・・・つまりは、日本という国に対して『尊ぶ』気持ちも『感謝』の気持ちもないわけです。
これが普通の企業ならば、愛社精神もないような社員に給料を払うような寛大な会社がどこにありますか?
このような者達が、『師』を名乗って子供らを教育しているという恐ろしい現状・・・
礼節をわきまえず『無気力』で『目的意識の無い』若者が増えつつあるのも、このような者達を『師』とあおいで子供らが育つからなのではなかろうか?ならば、かくなりきは当然の結果とも思えてくる。
『教師』としての彼らのモラルはどこにあるのか?
もうこうなれば、個人の思想うんぬんを貫きたいなら『教師』の看板下ろせ!と言いたくなる。
でも、そう言ったらそう言ったで
「我々には職業選択の自由があるのだから、教師になって何故悪い?」
とか、この人達のことだからそう言ってまた訴訟に持ってくんだろうな。
裁判結果というものから、多面的に物事を捉えることは難しい。
確かにその争点においては正しいのかもしれないが、別の見方をすれば間違っていることもある。
この裁判において、原告側の『思想・良心の自由』は保証され以後守られることになるのかもしれないが、『人を育む』という職業における倫理観が彼らによって蔑ろにされたというのも事実ではないだろうか。
結局この人達って「反戦」とか「自由」とかいった胡散臭いキーワードを操って「自分は色々考えてますよ」とか「自分は大勢に流されぬ人間ですよ」とか, つまりは「自分はインテリですよ」と主張したいだけなんだと思うのです.
自由自由言ってるくせに, 都に「控訴するな」と「自分達の意見を否定する自由はお前らにはない」と堂々と言ってのける自分勝手さ図々しさは羨しくすらあります.
子供という弱者を相手にすることによって不相応な自信を付けてしまうんでしょうね.
自分が国を尊敬するかどうかは勝手にさせろと言っておいて, 生徒が教師や学校を尊敬することは強制したりしてるんじゃないかな(校歌うたわせたりとか敬語使わせたりとか…)と想像すると, 背筋も凍る思いです.