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2006-01-31
戦後最大の〜
みのもんたの朝の番組に亀井静香が出てて、ホリエモンのことを「戦後最大の◯◯」とかいう表現で批難してたな。(◯◯の部分は、何て言ってたかよく覚えてないんだけど・・・(^_^;)
まぁ、◯◯の部分はどうでもいい。私がひっかかってるのは“戦後最大の〜”という部分にある。
今日はたまたま亀井氏が使ってただけなんだけど、彼に限らず多くの人が、その規模の大きさを印象付けるために「戦後最大の〜」とか「戦後最大級の〜」という表現をよく使う。しかし私はこの表現について時々、「おかしい!」と思うことがある。
確かに日本は終戦を起点として、戦後と戦前では社会のしくみや制度なんかも大きく変わった。だから戦前を含んだ条件のもとで比較することが難しい事柄がたくさん在るのは事実であり、また、条件を戦後に絞って物事を説明するほうが物事を何かと理解しやすいということもあるだろう。
そのような意味において『戦後最大の〜」という表現が正しく使われている分には、なんら違和感は無いのだが・・・
この表現をただ物事を大袈裟に表現する為に使われる分には、ちょっと気分が悪い。
もしそれが事実『戦後最大の』ことであったとしても、比較の対象を戦後に絞る必要もない事柄までにわざわざ『戦後最大の』という表現を安易に使うのはどうかと思うのだ。
日本の社会が大きな転機をむかえたのは何も戦争だけではない。歴史をひもとけば、その前の大政奉還や明治維新だって大きな転機である。むやみに『戦後、戦後』という言い方をするのは、なんとなく戦争以前の日本の社会を否定し、戦後社会の中だけで物事を判断してるような気がしてならない。今がどんな社会であれ、今の日本はその『戦前』を経て出来上がったものなのだから、「戦争以前については、わたしゃ知りませ〜ん」的な言い方で表現するのは、ちょっと違うだろう。
『戦後最大の詐欺』・・・詐欺なら戦争より前の時代にもあっただろう。
『戦後最大級の地震』・・・地震なら戦争より前の時代にもあっただろう。
特に考えがあるわけでもなく、ただ大袈裟に言いたいが為にこういう表現を使うのは、学がないのか、または国語の表現力に乏しいんだな、と思ってしまう。
起点を終戦におかなければ比較のできないような事柄でもないのに、「戦後最大の〜」という表現が多用されているように思うのは、気のせいだろうか?
ニュースや報道なんか聞いてて、よく耳に入ってくる言葉なんだけどね・・・
Comments
自分は使いませんが、修辞的ものなんでしょうね。でも表現方法としてはあまりピンと来ませんよねw
個人的には戦後って使う人=昭和一桁〜20年代生まれって感じですか。その後の高度成長期生まれ(朝鮮戦争が終わって、日本経済がテイクオフを果たした後に青春を送った人たち)にとっては死語かも?w
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