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2006-08-19
国の象徴
東宮一家のオランダ静養について、そこかしこで議論されているようですが・・・
私は、日本の歴史的・文化的伝統として、(現在の)皇室の存続については支持しています。
さらには、その伝統と系譜を受け継ぐ根拠として『男系天皇』を支持し、(女性天皇は認めるけれど)女系天皇については反対です。
皇室の是非については賛否両論あると思いますが、少なくとも私は(現)天皇・皇后両陛下が国民に対して向けられる笑顔を見る時、多少の慰めにはなっています。
現両陛下は、神事に大変熱心な方と聞きます。
公に報道されることはありませんが、御所内では毎年数多くの神事・祭事が執り行われているそうです。
だから、両陛下は何かにつけ「国民の為に祈っています」というような表現をなされるが、これは文字通り、真実『祈って』おられるのだと思います。
で、ここ数年その神事・祭事を、『体調不良』という理由で欠席を続けているのが、現東宮妃・雅子さまです。
ぶっちゃけ、別に「祈ってもらったからと言ってどうなるものではない」とは思っていますが、公務ができないのなら、せめて国民の為に祈るぐらいのことはして欲しい・・・と思うのは間違ってますか?
雅子妃の病気についての私の認識が不足しているのかもしれませんが、やはり、オランダまで長時間のフライトに耐えられる体力があるのに、御所内の神事に参加できないというのは、どうしても不可解に思えてなりません。
「参加できない」のではなく「参加したくない」という理由なら、(そのワガママさに呆れるけれども)まだ理解できるというものです。
現代っ子でインターナショナルなお育ちの雅子様にとって『神に祈る』なんてのは馬鹿馬鹿しい行為なのでしょう、と。
国民の税金を一切使用せずに行くというのなら「好きにして」とも言えますが、そもそも『国外』に脱出しないと静養できないという時点で、私はこの方の『国と国民に対する考え方』に疑問を持たずにはいられません。
国の象徴ともなろうという方が、静養先を『自分の国』ではなく他国に求めるとは・・・では、我々国民が病気になったら「療養は他国にて行うことを推奨」ということなんでしょうか?
日本は『国の象徴』にまで見捨てられた国なんですね・・・。
ならばせめて、皇太子一家をオランダに渡らせる費用で『移植待ち』している患者を1人でも多くを海外に送ってやったらどうなんでしょう。
今回の静養先が(小和田夫妻の滞在する)オランダであるというのは、偶然ではないと思います。
偶然としたら、あまりに出来過ぎでしょう。我々は、そんな見え透いたことに騙されるほど愚民ではありません。
美智子皇后は「自分の経験したと同じ辛い思いを雅子妃にはさせたくない」というお考えから、昔に比べ色々な点において雅子妃とご実家の交流については寛大でおられるけれど、雅子妃も小和田家もそのお心に甘え過ぎで、あまりに『けじめ』が無いと思います。
ただ、雅子妃についてのバッシングは色々ありますが、私はどうしても擁護したいことが1つだけあります。
以前このブログにも書いたことですが、『男子を産んでない」ということについてのバッシングは絶対に許せません。
男子が産まれないということは、(遺伝学的にも)問題があるとすれば『男』の側のほうであり、このことについて雅子妃をバッシングする奴は「宇宙のゴミとなって消えてしまえ!」と思っています。
しかし、それ以外の点において東宮妃を擁護する理由は何1つありません。
民間から皇室に入られたということで、庶民には想像のつかないご苦労があることも解っています。
でも・・・
私の好きな『十二国記』の中に出てくる、楽俊の言葉。
「親父さんが奉王になったのは、たしかにあんたのせいじゃない。けど、公主になったからにはその責任が生まれるんだよ。」
「何の努力もなしに絹を着てる連中もいる。でも、努力もなしに与えられるってことは、その値打ち分のことを要求されているんだ。」
「景王は国と民に責任を負っている。責任を果たさずに手に入るものなんかない。あったとしたら、それは何か間違っている。」
雅子妃が皇室入りした経緯については雅子妃自身に決断の自由はあったとしても、実際には本人にどうすることもできない周囲の事情というのがあったのかもしれません。しかし、我々庶民が一生かかって稼げるかどうかの大金を簡単に費やしてオランダへ静養に行くからには、その値打ち分のことを要求されて然るべきと思うんですよ。
その『値打ち分』のこと・・・つまり、公務をちゃんとこなすこと無しに外遊するのは、何かが間違ってます。
皇室に入ったら少なくとも『食う』に困る事はなく、それなりに贅沢な生活は保証される。怪我や病気をしてもお金に関係なく最高の治療を受けることができるわけですから・・・慣れない皇室の環境で苦悩したり辛いことは沢山あるでしょうが、しかしそれらの苦労は『その値打ち分』の責務として、同情するわけにはいかないのです。
「外国へ行かせてもらえない」ことがストレスの理由の1つと言いますが・・・我ら庶民からしてみれば、そんな贅沢なストレスは『ただのワガママ』です。
現皇太子と皇太子妃が次期天皇・皇后として即位したとして・・・
選挙で天皇を選びたいとは思いませんが、拒否する権利ぐらいはあってもいいかな?と思い始めた、今日このごろです。
国民が『国民の象徴』と思えない天皇なら、天皇の存在価値は無くなってしまうわけでしょう?
天皇制を支持する私としては、支持する理由が失われてしまうことが怖いのです。
正直今は、秋篠宮ご夫妻の方が次期天皇・皇后に相応しいのでは?と思えてなりません。
少なくとも私は、紀子様の微笑みには『癒し』を感じられます。
国民の多くが「見ていて幸せな気分になれない」というのは、
それだけで『国の象徴』としての意義を失うに十分な理由ではないでしょうか・・・
(12:19:33) ‖ Category:
社会ネタ
Comments
私は、もし皇統が絶えるなら、いっそ象徴天皇制を廃して共和国制にしてもいいんじゃないかと思ってるほうです。
たぶん良いほうには向かわないと思いますが…(自由惑星同盟のようになりそうな気がします…(笑))
なんか矛盾してるみたいですけど、要するに「自然と絶えるなら、それもまた運命だろう」と思ってるということです。
今の東宮は、皇統を継ぐものとしての意識があまりに低いと思われる言動が多く、これはすべて、宮様の教育に皇室爾来の要素を排除し、一般家庭並みの生活を取り入れることに熱心だった今上両陛下の意向のためだと思います。
それが悪いとは思いませんし、時代に即した好ましいものだと思いますが、それで皇統が絶えるなら、それもまた時代の要請なのでしょう。
私も、自然の流れに逆らってまで天皇制があるべきだとは思いません。
私は『皇室』の存在を、日本の歴史的・文化的伝統として賛成しているわけで・・・もし現天皇家の血筋が絶えたとして、血筋の異なる者が天皇になるくらいなら天皇制は必要ないと思っています。だから、女系天皇にも反対なのです。
ただ、今はまだ皇統が絶えてしまったわけでなく・・・少なくとも、おそらく私が生きている間は皇位を継承できる者がいるわけですね。
時代の要請によって皇統が絶えるということに抗いはしませんが、それは我々の『次の』時代に起きるであろう話であり、それについてどうあるべきかは(その時代にはすでに居ない)我々ではなく、実際にその時代を生きる者達によって自然と判断が下されるであろうと思っています。
それよりも、今我々が直面しているのは、おそらく我々の存命中に即位することになるであろう『次期天皇・皇后』のあり方と存在意義についてだと思い、この記事を書きました。
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